シェアハウス

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シェアハウスとは、ひとつの住居を複数人で共有することである。ハウスシェアリングとも言う。

概要[編集]

ゲストハウスと同様、敷金礼金、仲介手数料が無料で、保証人も必要ない。シェアハウスと呼ばれるようになったのは、初期ゲストハウスのもつ「安いが汚い」というイメージを払しょくするため、また、当時、多くはゲストハウスと呼ばれていたが、言葉の意味が多様にわたる為、古くからシェアハウスを運営する不動産業者ソニアコーポレーションが差別化するために使い始めたのがきっかけである。

ゲストハウスが迎賓館と誤解されること、また、カーシェアリング等からシェアという言葉が浸透してきたこともあり、シェアハウスという呼び方が広まってきている。

ルームシェアと違い、業者が介在し入居者を募る形態であり、初期ゲストハウスよりも、総じて設備やサービス面で充実している。尚、ゲストハウス、シェアハウスの数が増え、現在では「安いが汚い」という物件は減りつつある。十数人程度の比較的規模の小さいものから、後述シェアアパートも含めシェアハウスと呼ばれる。

ゲストハウス[編集]

主に外国人向けの安宿であったが、利便性、経済性等から日本人の社会人のニーズが増え、賃貸住宅の選択肢の一つとなってきている。 詳細はゲストハウス項目を参照。

ソーシャルアパートメント[編集]

通常の賃貸マンション・アパートに+αで共用部施設があり、その共用部をシェアをする形態である。ここ数年間で20〜30代の若者に人気が出始めた。ゲストハウスの高級版とも言える。

従来のシェアハウスでは『経済面での負担を減らすため』にシェアをするというのが目的であるのに対し、ソーシャルアパートメントでは『過剰なセキュリティによって個々が分断されてしまった集合住宅において、人との繋がりや交流を自然発生させ、日常を豊かにしていく』というのが目的である。

通常のアパートのように完全な個室があり、基本的にはラウンジ、キッチン、バス・トイレは共用である。しかし、最近では共有部にライブラリーやフィットネスルーム、居室には水回りがついているような形態も増えてきている。共用部分には清掃業者が入る場合が多いため、仕事で忙しい働き盛りの若いビジネスパーソンから注目を集めている。

高級マンションでは共用のラウンジがすでに存在するが、若者向けの低賃料のアパートにおいては、新しいスタイルである。また、一人暮らしで感じる寂しさや孤独感を解消させることができるため、独身者の入居がほとんどである。こういった形態のアパートは、社会人の入居率が非常に高く、他業種で活躍する人々とのコミュニケーションの場ともなっており、新規ビジネスの立ち上げや一生のパートナーとの出会いに繋がることもある。

このような形態は不動産業者の株式会社グローバルエージェンツが最初に始めた形態だが、震災後、人との繋がりが重要視され始め、関東を中心に全国に広がりを見せている住居形態。

ルームシェア[編集]

アパートの一室や戸建住居を複数人で共同使用する形態である。

トンネル崩落、ワゴンの3人はシェアハウス仲間(2012年12月)[編集]

山梨県の中央道・笹子トンネルの天井板崩落事故で、下敷きになったワゴン車に乗っていて死亡した5人のうち、男女3人は、都内の賃貸住宅「シェアハウス」の住人仲間と判明した。

残る2人も住人とみられる。台所などを共有し、若者の支持を得ているシェアハウス。5人は2011年頃から入居し、2か月に1度は旅行に出かけるほど仲が良かったという。

3人は、いずれも東京都千代田区東神田に住む会社員の、松本玲さん(28)、小林洋平さん(27)、森重之さん(27)。2日朝、他の3人とワゴン車に乗っていて事故に遭った。このうち、知人の神奈川県三浦市、銀行員の女性(28)は足のやけどなど2週間のけがを負った。残る2人は28歳の女性と27歳の男性とみられる。

シェアハウスは住人の個室がある一方、台所などは共同施設。賃貸料は比較的安く、支え合う住人関係などが見直され、人気だ。

松本さんらは同じシェアハウスで計14人で共同生活を送っていた。読売新聞は昨年暮れ、年始の連載企画「日本 あれから」の取材で住人から話を聞いた。松本さんらは「友達であり家族でもあるみんなと旅行したりご飯を食べたり出来る今が一番幸せ」「おじいちゃん、おばあちゃんになってもみんなで一緒に暮らしたい」と話していた。

死亡した東京都千代田区の会社員、小林洋平さん(27)、会社員、森重之さん(27)、会社員、松本玲さん(28)の3人は、リビングなどを共有するシェアハウスで共同生活を送り、地域の行事などにも積極的に参加していた。

「まだ信じられない。まさかと思った。残念で、ショックで…」。地元の町内会長を務める男性(68)は、そう言って言葉を詰まらせた。訃報を聞いたのは2日前。シェアハウスの管理会社から連絡で知った。3人は町内会活動を支える若い担い手だったという。

3人は2年ほど前から町内会の青年部に所属。法被姿で地域の祭りに参加するなどして地域住民と交流を深めていたという。

青年部の副部長を務める紳士服店の男性店長(38)も目に涙を浮かべながら振り返る。

「小林君とは今年秋に一緒に飲んだ。実家に帰ることを楽しみにしていた。松本さんは明るく元気で、大きい声で笑っていた」

小林さんは昨年、「スーツを買うならここで」と同店でスーツを仕立て、早速会社に着ていくと、「良かったですよ!」とわざわざあいさつに訪れたという。

松本さんは町内会のムードメーカー。今年1月には町内会のスキー行事で、雪まみれになりながら子供たちと遊んでいた姿が印象深いという。

「みんな本当にいい印象しかない。みんなで笑っていたのに…」

3人が住んでいたシェアハウスは7日、早朝から悲しみに包まれ、午前6時すぎに玄関から出てきた女性は終始無言。午前7時前に外出した男性は「コメントは差し控えたい」とだけ話し、足早に出かけて行った。