麻生太郎

提供: Yourpedia
2011年2月5日 (土) 13:40時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内検索
麻生 太郎
麻生 太郎

麻生 太郎(あそう たろう、1940年昭和15年〉9月20日 - )は、日本政治家実業家衆議院議員(10期)。為公会(麻生派)会長。

経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第345代)、外務大臣(第137138代)、内閣総理大臣第92代)や、自由民主党政務調査会長自由民主党幹事長自由民主党総裁(第23代)などを歴任した。

モントリオールオリンピッククレー射撃クレースキート競技)日本代表(41位)。元麻生セメント(現・株式会社麻生。麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生からさらに分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。)代表取締役社長。妹は寛仁親王妃信子クリスチャンカトリック)である。

経歴

政界入りまで

福岡県飯塚市麻生太賀吉・和子の長男として生まれる(父方の祖父の名前も“麻生太郎”である)。麻生塾小学校(閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入。

海外留学

1963年学習院大学政経学部を卒業した。 学習院大学卒業後は、下記のような海外留学生活を送ったとされている。

  • 1963年9月 - スタンフォード大学大学院に留学
  • 1965年 - スタンフォード大学大学院を中退、ロンドン大学政治経済学院に留学
  • 1966年8月 - ロンドン大学を中退

スタンフォード大学・大学院(米国)では政治学、ロンドン大学・大学院(英国)では経営学を学んだと2001年4月の自民党総裁選挙候補者プロフィール中には記載されていたが、現在の本人オフィシャルサイトにこの期間についての一切の記載はない。2007年9月16日 読売新聞には、1963年3月 学習院大政経学部卒業、同年9月 スタンフォード大大学院留学、と紹介されており、上記の総裁選候補者プロフィール中にあるロンドン大学への留学については記述が無い。

尚、米国での留学生活は麻生が過剰にアメリカナイズされる事を恐れた実家の意向で中断され、一旦帰国した後に、再度ロンドン大学に留学したとされている。 華やかな留学歴を持つが、肝心の学位は取得できないまま帰国しており、留学中は学業をはおろそかにしていたと自ら語っている。霍見芳浩ニューヨーク市立大学教授によれば、80年代に同氏が麻生太郎を訪ねた際に『「英国留学」ということだったので英文資料も持参していたが、見せようとすると、「私は、英国では遊んでばかりで、何も勉強しなかった」と正直な告白だった。ご謙遜かと疑ったが、そうではないのはすぐに明らかになった』といったやりとりがあったとのことである。

海外での事業

帰国後の1966年に実家の麻生産業(後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロ市に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。また、麻生太郎の従兄弟に当る人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。

その後、1970年から2年間に渡って西アフリカのシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していた事が知られている。この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である麻生太賀吉と実弟で専務の麻生典太だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと麻生典太は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。 2006年1月19日に日本記者クラブにて行われた外務大臣演説でシエラレオネのダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している

帰国後の経歴

1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年モントリオールオリンピッククレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。

政界入り後の経歴

1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した第37回衆議院議員総選挙を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。宏池会に所属。

1996年第2次橋本内閣経済企画庁長官に就任し、初入閣。

1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。

2001年4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎橋本龍太郎と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。

2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。

2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。

2007年9月、07年自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。

2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。

2008年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。

2008年10月2日麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では景気対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。

2009年9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて麻生内閣総辞職を決定。政権を民主党代表鳩山由紀夫に明け渡した。

政治的主張

経済

道路整備などを主に主張するエコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している。

定額減税公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している。

消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示した。

労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、国としては是正する意思の無いことを明らかにした。

首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している。また、「(地方の)医療介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している。

2008年10月30日には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。小渕内閣地域振興券とよく似た、2兆円を超える給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の住宅ローン減税などを実施した。

この政策のうち、定額給付金について、毎日新聞は、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し、11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した。麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛ぶ一方で「地方分権」を理由に事務を市区町村に委ねたことなどについて政府を批判した民主党幹事長鳩山由紀夫は大きな拍手を浴びた。しかし、経済協力開発機構(OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズは「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示しており、最終的にはジョーンズの見解どおり、定額給付金の支給は、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになった が、この政策は金融危機を回避するという緊急性から急いで決定された政策であったため、配布方法などできめ細かさに欠けるところがあり、「バラまき」という批判を浴びた。

外交・安全保障

脚注




Flag of Japan.svg          歴代内閣総理大臣          Go-shichi no kiri crest 2.svg
91
福田康夫
92
2008年 - 2009年
93
鳩山由紀夫
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
伊藤博文
黑田清隆
山縣有朋
松方正義
大隈重信
桂太郎
西園寺公望
山本權兵衞
寺内正毅
原敬
高橋是清
加藤友三郎
清浦奎吾
加藤高明
若槻禮次郎
田中義一
濱口雄幸
犬養毅
齋藤實
岡田啓介
廣田弘毅
林銑十郎
近衞文麿
平沼騏一郎
阿部信行
米内光政
東條英機
小磯國昭
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎
吉田茂
片山哲
芦田均
鳩山一郎
石橋湛山
岸信介
池田勇人
佐藤榮作
田中角榮
三木武夫
福田赳夫
大平正芳
鈴木善幸
中曾根康弘
竹下登
宇野宗佑
海部俊樹
宮澤喜一
細川護熙
羽田孜
村山富市
橋本龍太郎
小渕恵三
森喜朗
小泉純一郎
安倍晋三
福田康夫
麻生太郎
鳩山由紀夫
菅直人
野田佳彦