「智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校」の版間の差分

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(硬式野球部)
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*2002年の夏の大会では、兄弟校である奈良五條の智弁学園と3回戦で春夏通じて初めての対戦となり、同じユニフォーム同士(肩の校章と県名の部分は除く、胸文字の太さとユニフォームのカラーもやや異なる)の対決ということなどで話題となった。帽子は和歌山側を赤に切り替えて試合に臨む(この帽子は1980年代後半にこういう事態を予測して用意されたものであると1989年に全国高校野球大会直前のNHKの特別番組で公開された。)という話もあったが、実際には両校とも通常時と同じ帽子が使用された。また、甲子園のスコアボードには、和歌山側は「和智弁」、奈良側は「智弁」と表示された。なお智弁対決は1995年の秋季近畿大会で一度実現しており、この時は5-0で智弁和歌山が勝利している。
 
*2002年の夏の大会では、兄弟校である奈良五條の智弁学園と3回戦で春夏通じて初めての対戦となり、同じユニフォーム同士(肩の校章と県名の部分は除く、胸文字の太さとユニフォームのカラーもやや異なる)の対決ということなどで話題となった。帽子は和歌山側を赤に切り替えて試合に臨む(この帽子は1980年代後半にこういう事態を予測して用意されたものであると1989年に全国高校野球大会直前のNHKの特別番組で公開された。)という話もあったが、実際には両校とも通常時と同じ帽子が使用された。また、甲子園のスコアボードには、和歌山側は「和智弁」、奈良側は「智弁」と表示された。なお智弁対決は1995年の秋季近畿大会で一度実現しており、この時は5-0で智弁和歌山が勝利している。
 
*創部2年目に[[高嶋仁]]が監督に就任。長く指揮を執り、智弁和歌山の名を高めたが、[[2008年]]9月に暴力事件を起こし、謹慎。鈴木幸雄が臨時監督に就いた。2008年12月9日に、高嶋は監督に復帰した。
 
*創部2年目に[[高嶋仁]]が監督に就任。長く指揮を執り、智弁和歌山の名を高めたが、[[2008年]]9月に暴力事件を起こし、謹慎。鈴木幸雄が臨時監督に就いた。2008年12月9日に、高嶋は監督に復帰した。
*一時は高嶋監督の不祥事によって恥をかくこともあったが、2008年3月に悪事放任・隠蔽・逆切れ学校の分際で甲子園に土足で上がり込んできた[[長野県丸子修学館高等学校|丸子修学館]]を初戦敗退かつ複数の選手が負傷して退場させられるという状況に追い込んだ胸のすく部でもある。
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*一時は高嶋監督の不祥事によって恥をかくこともあったが、2008年3月に<span style="line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm">悪事放任・隠蔽・逆切れ学校の分際で甲子園に土足で上がり込んできた[[長野県丸子修学館高等学校|丸子修学館]]を初戦敗退かつ複数の選手が負傷して退場させられるという状況に追い込んだ胸のすく部</span>でもある。
  
 
=== 甲子園での戦績 ===
 
=== 甲子園での戦績 ===

2010年4月30日 (金) 15:50時点における版

智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校(ちべんがくえんわかやましょうがっこう・ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市にある、私立小中高一貫校である。

宗教法人辯天宗を母体とした学校法人智辯学園が経営する。奈良県にある智辯学園中学校・高等学校智辯学園奈良カレッジ小学部・中学部・高等部とは兄弟校。

また、韓国オーストラリアアメリカ合衆国の学校と姉妹校関係にある。

概要

  • 和歌山県下一の進学校であり、難関といわれる大学への進学実績は全国有数である。
  • 東大京大国公立大学医学部医学科防衛大学校防衛医科大学校の合格者数は、和歌山県内では群を抜いている。
  • 小学校からの12年一貫教育、中学校からの6年一貫教育のほかに、高校からの編入コース及びスポーツコースがある。学力によって、文系理系ともに能力別クラス編成を実施している。また、高等学校に設置されていたINCコース(旧国際コース)は2008年度より生徒募集を停止している。
  • 新宗教系列の学校としてこれほどの進学実績を示しているのは日本でこの学校だけである。(系列の智辯学園中学・高等学校【奈良県】もかなりの進学実績を残しているが、和歌山校ほどではない。)
  • 中学校では運動部、文化部それぞれが設置されているが、高校では硬式野球部以外の運動部は無い(少林寺拳法部も文化系扱い)。高校で唯一の運動系部活動である硬式野球部は部員全員がスポーツコースに在籍している。
  • アメリカ合衆国にあるトーマス・ジェファーソン高校、オーストラリアメルボルン)のセント・レナーズカレッジとは学生交換プログラムを実施している。
  • 和歌山県の誘致により開校したため、他の私学に比べて授業料の面で優遇されている。
  • 硬式野球部の強さが有名であるが、日本テレビ全国高等学校クイズ選手権では歴代3位の11回出場を果たしている(和歌山県の最高記録は田辺高校の準優勝)。これは鹿児島県のラ・サール高校に並ぶ出場記録である。

硬式野球部

  • 硬式野球部は高校野球の強豪として知られている。1979年創部。全国(阪神甲子園球場)大会では、春選抜夏選手権を通じて優勝3回、準優勝3回を経験している。また、選手権大会には過去16回出場しているが、和歌山大会の決勝戦ではいまだに負けたことがなく、決勝戦では16連勝中である。また劣勢な試合にも強く、第88回選手権大会の帝京戦のような絶望と思われた状況から、大逆転したケースも数多く存在する。
  • 同校が甲子園大会で全国制覇を達成したのは、春選抜は1994年第66回大会の1回、夏選手権は1997年第79回大会2000年第82回大会の2回で、春夏合計3回である。
  • 高嶋監督の意向で1学年10名までしか取らない。そのため、最大30名しか部員がいない。また、和歌山県外の出身者は1学年1~2名に制限されている。県外選手の制限の理由は、和歌山県代表である以上は地域の理解が必要であることなどが挙げられている。部員が少数であることなどの理由の詳細は、『高嶋仁#少数精鋭の理由』を参照のこと。
  • 甲子園出場時の約束事として、選手権では3年生全員がベンチ入り出来、試合にも出場させる。甲子園練習日にはベンチ入り出来なかった選手も一緒に練習している。
  • 高校野球では原則として新字体を用いることになっていることから「智和歌山」と表記される。しかし紀三井寺球場では「智辯学園」と、テレビ和歌山では「智辯」と表示される。
  • また甲子園球場のスコアボードには、かつて2008年まで最大三文字の表示だった時は「和智弁」または「智弁」と記されていた。2009年以降、甲子園のスコアボードは最大で四文字が表示可能となったが、従来通り「和 智 弁」と三文字のみで記されている。
  • 強打の智弁和歌山」と呼ばれ、本塁打や得点などの打撃関係で様々な記録を保持している。特に2000年は、春はチーム大会最多塁打(当時)101、夏はチーム大会最多安打100、最高打率(当時).414、最多本塁打11、最多塁打157、1イニング最多本塁打3を記録し、「高校野球史上最強打線」と呼ばれるほどであった。ちなみに、夏初優勝した97年も当時のチーム最高打率を更新する.406を記録している。ただし、ランナーが出ると送りバントで進めるシーンが多いことも特徴である。
  • 2002年の夏の大会では、兄弟校である奈良五條の智弁学園と3回戦で春夏通じて初めての対戦となり、同じユニフォーム同士(肩の校章と県名の部分は除く、胸文字の太さとユニフォームのカラーもやや異なる)の対決ということなどで話題となった。帽子は和歌山側を赤に切り替えて試合に臨む(この帽子は1980年代後半にこういう事態を予測して用意されたものであると1989年に全国高校野球大会直前のNHKの特別番組で公開された。)という話もあったが、実際には両校とも通常時と同じ帽子が使用された。また、甲子園のスコアボードには、和歌山側は「和智弁」、奈良側は「智弁」と表示された。なお智弁対決は1995年の秋季近畿大会で一度実現しており、この時は5-0で智弁和歌山が勝利している。
  • 創部2年目に高嶋仁が監督に就任。長く指揮を執り、智弁和歌山の名を高めたが、2008年9月に暴力事件を起こし、謹慎。鈴木幸雄が臨時監督に就いた。2008年12月9日に、高嶋は監督に復帰した。
  • 一時は高嶋監督の不祥事によって恥をかくこともあったが、2008年3月に悪事放任・隠蔽・逆切れ学校の分際で甲子園に土足で上がり込んできた丸子修学館を初戦敗退かつ複数の選手が負傷して退場させられるという状況に追い込んだ胸のすく部でもある。

甲子園での戦績

沿革

  • 1978年4月 - 智辯学園和歌山中学校・高等学校が開校
  • 2002年4月 - 智辯学園和歌山小学校が開校

外部リンク