後藤組

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後藤組(ごとうぐみ)は、静岡県富士宮市に本拠を置く日本暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。 直参全50団体。構成員は2006年2月末現在で準構成員を含めて約1150人。

概要

組長後藤忠政は、三代目山口組時代のボンノこと菅谷政雄が興した菅谷組の幹部で「北陸の帝王」と呼ばれた川内 弘が率いる川内組の幹部だった。 菅谷組の内紛から川内が射殺され、伊堂組(組長・伊堂敏雄)舎弟を経て四代目山口組直参に昇格する。 一和会との「山一抗争」の時には、一和会会長・山本 広宅にダイナマイトを持参してダンプで突入した。

五代目山口組東京進出時には、いち早く行動を起こし、確固たる地盤を築いた。 1990年2月に起きた「八王子抗争」の後、八王子正東会会長・古橋勝利(後に後藤組舎弟頭補佐)が地位を確立した。

その後、世間を騒がせた武富士問題の結果、日本航空の個人筆頭株主になった。後藤組傘下企業舎弟及びフロント企業は、東京都内に多数 進出している。

後藤組の名は、1992年の映画「ミンボーの女」をめぐる伊丹十三監督襲撃事件で、武闘派暴力団として報道された。伊丹十三監督襲撃事件とは、「ミンボーの女」で地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描いた伊丹監督が、同年5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った五人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負った事件である。伊丹監督は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。

極東桜井總家連合会から加わった大石会高山組柿畑組高山会斉藤組等が直参に昇格し、構成員も約300人増えた。

テナントビル「真珠宮ビル」を巡る虚偽登記事件

2006年5月8日東京都渋谷区代々木2丁目の真珠宮ビル(12階)所有権を勝手に移転させたとして、警視庁組織犯罪対策4課が、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで組長後藤忠正を逮捕。同様の容疑で不動産会社「菱和ライフクリエイト」社長ら10人も逮捕。午前中には静岡県富士宮市の後藤組本部の家宅捜索を受けた。2日後の5月10日には不動産ブローカーの男が電磁的公正証書原本不実記録などの容疑で逮捕されている。

最高幹部

その他の組員

舎弟

幹部



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