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'''完全解脱'''は、[[1998年]]から[[1999年]]にかけて活動した[[オウム真理教]]の信者による[[ロックバンド]]。ただし以前の教義では[[ロック]]について「地獄界の音楽」としていた<ref name=d>西村雅史・宮口浩之 監修『オウム真理教大辞典』三一書房、2003年、38-39頁。</ref>。
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'''完全解脱'''は、[[1998年]]から[[1999年]]にかけて活動した[[オウム真理教]]の信者による[[ロックバンド]]。なお以前の教義では[[ロック]]を「地獄界の音楽」としていた<ref name=d>西村雅史・宮口浩之 監修『オウム真理教大辞典』三一書房、2003年、38-39頁。</ref>。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
 
オウム真理教の在家信者8人によって構成されていたバンドである。コンサートでは教祖[[麻原彰晃]]の曲をアレンジしたものを演奏したが、歌詞に「オウム」や「尊師」といった語が含まれるものは選曲されなかったという。また教団のウェブサイトにおけるコンテンツ「終末チャット」にて、メンバーと会話する企画も行われていた<ref name=d/>。
 
オウム真理教の在家信者8人によって構成されていたバンドである。コンサートでは教祖[[麻原彰晃]]の曲をアレンジしたものを演奏したが、歌詞に「オウム」や「尊師」といった語が含まれるものは選曲されなかったという。また教団のウェブサイトにおけるコンテンツ「終末チャット」にて、メンバーと会話する企画も行われていた<ref name=d/>。
  
1998年に初のコンサートを[[神奈川県]]内において開催{{要出典}}。同年11月29日に[[杉並区]][[阿佐谷]]のライブハウスにおいて2度目のコンサートを開催する。この際に[[警視庁公安部]]の警察官が路上からビデオカメラで会場を撮影していた件について、教団幹部の[[広末晃敏]]・[[荒木浩]]を含む信者8人が[[肖像権]]及び[[集会の自由]]を侵害されたとして、1999年6月に賠償とテープの引き渡を求め[[東京都]]を提訴したが<ref>「オウムが肖像権で提訴」『東京新聞』1999年6月1日付夕刊、10面。</ref><ref>「オウム真理教信者のコンサートで警察が無断撮影 肖像権侵害で東京都を提訴」『日刊スポーツ』1999年6月2日号、24面。</ref>、[[2000年]]9月に[[東京地方裁判所]]は合法との判決を下している<ref>「オウム真理教信者のコンサート、警察の撮影は合法 東京地裁判決」『毎日新聞』2000年9月7日付朝刊、30面。</ref>。
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1998年に初のコンサートを[[神奈川県]]内において開催。同年11月29日には[[杉並区]][[阿佐谷]]のライブハウスにおいて2度目のコンサートを開催している。この際に[[警視庁公安部]]の警察官が路上からビデオカメラで会場を撮影していた件について、教団幹部の[[広末晃敏]]・[[荒木浩]]を含む信者8人が[[肖像権]]及び[[集会の自由]]を侵害されたとして、1999年6月に賠償とテープの引き渡を求め[[東京都]]を提訴したが<ref>「オウムが肖像権で提訴」『東京新聞』1999年6月1日付夕刊、10面。</ref><ref>「オウム真理教信者のコンサートで警察が無断撮影 肖像権侵害で東京都を提訴」『日刊スポーツ』1999年6月2日号、24面。</ref>、[[2000年]]9月に[[東京地方裁判所]]は合法との判決を下している<ref>「オウム真理教信者のコンサート、警察の撮影は合法 東京地裁判決」『毎日新聞』2000年9月7日付朝刊、30面。</ref>。
  
 
1999年3月14日には阿佐谷のライブハウスにおいて3度目のコンサートが開催され、百数十人の観客が参加した。ただし公式サイトでは開催場所が告知されなかったという<ref>「オウム真理教バンド『秘密コンサート』潜入記」『週刊新潮』1999年3月25日号、40頁。</ref>。
 
1999年3月14日には阿佐谷のライブハウスにおいて3度目のコンサートが開催され、百数十人の観客が参加した。ただし公式サイトでは開催場所が告知されなかったという<ref>「オウム真理教バンド『秘密コンサート』潜入記」『週刊新潮』1999年3月25日号、40頁。</ref>。

2015年7月21日 (火) 01:08時点における最新版

完全解脱は、1998年から1999年にかけて活動したオウム真理教の信者によるロックバンド。なお以前の教義ではロックを「地獄界の音楽」としていた[1]

概要[編集]

オウム真理教の在家信者8人によって構成されていたバンドである。コンサートでは教祖麻原彰晃の曲をアレンジしたものを演奏したが、歌詞に「オウム」や「尊師」といった語が含まれるものは選曲されなかったという。また教団のウェブサイトにおけるコンテンツ「終末チャット」にて、メンバーと会話する企画も行われていた[1]

1998年に初のコンサートを神奈川県内において開催。同年11月29日には杉並区阿佐谷のライブハウスにおいて2度目のコンサートを開催している。この際に警視庁公安部の警察官が路上からビデオカメラで会場を撮影していた件について、教団幹部の広末晃敏荒木浩を含む信者8人が肖像権及び集会の自由を侵害されたとして、1999年6月に賠償とテープの引き渡を求め東京都を提訴したが[2][3]2000年9月に東京地方裁判所は合法との判決を下している[4]

1999年3月14日には阿佐谷のライブハウスにおいて3度目のコンサートが開催され、百数十人の観客が参加した。ただし公式サイトでは開催場所が告知されなかったという[5]

メンバー[編集]

  • 中学3年生であった1995年の6月頃に初めて教団の関係者と接触し、同年のうちに入信したという[6]。なお『オウム真理教大辞典』には「う゛ひめう゛」とある[1]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 西村雅史・宮口浩之 監修『オウム真理教大辞典』三一書房、2003年、38-39頁。
  2. 「オウムが肖像権で提訴」『東京新聞』1999年6月1日付夕刊、10面。
  3. 「オウム真理教信者のコンサートで警察が無断撮影 肖像権侵害で東京都を提訴」『日刊スポーツ』1999年6月2日号、24面。
  4. 「オウム真理教信者のコンサート、警察の撮影は合法 東京地裁判決」『毎日新聞』2000年9月7日付朝刊、30面。
  5. 「オウム真理教バンド『秘密コンサート』潜入記」『週刊新潮』1999年3月25日号、40頁。
  6. 「サリン事件後入信した信者に訊いた! 『なぜ今オウムに入るのか』」『創』1999年9月号、42-43頁。

外部リンク[編集]